喰らいつく狼の群れ

本を読んで考えたことを書きます

ゾンビとしてのサバイバルガイド―遠野遥「破局」

TL;DR

  • 人類みなゾンビ
  • ゾンビでもなんとか生きていくしかない

『破局』のあらすじ

『破局』の主人公・陽介は実はゾンビである。ゾンビは、巧妙に人間に擬態し、一見順風満帆な大学生活を送っている。高校のラグビー部のコーチ、公務員試験、二人の女性との交際。物語の最後に、ゾンビは路上で人を襲い、破局は唐突に訪れる。

陽介がゾンビであることを示す13の特徴

ゾンビというのは(後述するように)もののたとえであって、陽介は映画に出てくるような腐った死体では当然ないのだけれど、作中において、陽介はゾンビとしての特徴を多く備えたキャラクターとして描かれる。

1. 自分で自分はゾンビであると明言している

ゾンビという表現は、私が勝手に選んだわけではなくて、作中で二度、陽介は自分はゾンビであると明言している。

一度目は、高校のラグビー部のコーチをしているとき。ラグビーは「ゾンビみたいに最後まで立ち上がり続けたほうが勝つ」。陽介は、高校で「現役だったとき、実際に自分をゾンビだと思いこむようにして*1」いたという。

二度目は、二人目の交際相手である灯との旅行でのこと。灯の強い性欲を満たすために、ホテルでゾンビ映画を観ながら、二人は一日中セックスを続ける。疲れた陽介の調子を気遣う灯に、陽介は「俺は何度だって蘇る*2」と語る。

2. 攻撃性が高い

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優しいゾンビもいるのかもしれないが、ゾンビというのは概して攻撃性が高い。陽介も善良な人間に見えて、実は高い攻撃性の持ち主だ。物語の最後には路上で人を襲うし、電車で見知らぬおじさんを威圧するし、ラグビーでは向かってくる敵にがんがんタックルを仕掛ける(もちろんラグビーのルールにおいては、このような攻撃は許されているのだろうが)。

3. 性欲が強い

(灯には及ばないが、)陽介はかなり性欲が強い。「セックスをするのが好きだ。なぜなら、セックスをすると気持ちがいいからだ*3」。灯の前の、一人目の交際相手である麻衣子に対しても「もっとセックスをしたい。本当なら毎日したい*4」と感じていた。そして、ゾンビも性欲が強い。たぶん。

4. 肉を喰らう

ゾンビは肉を喰らう。陽介も肉が好きだ。野菜も食べろ。

5. 眠りの質が高い

性欲、食欲ときたら、三つ目は睡眠欲だが、陽介の眠りの質は高い。夜眠れないような心配事は全くない(と少なくとも本人は思っている)し、警官に捕まっても問題なく眠れるようだ。ゾンビの眠りの質についてはよく知らない。

6. 社会規範への意識

人間に擬態して社会生活を送るためには、規範を守ることはマストである。ゾンビとバレては大変だ。陽介は異常なまでに規範意識が高い。が、それはどこかズレていて奇妙だ。

7. 筋トレが好き

規範意識がいくら高くても、身体が腐っていたら、一発でゾンビとバレしてしまう。トレーニングで健康な肉体を獲得しなければならない。

8. 臭いに敏感

くんくん。

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9. 他者の視線

陽介は常に誰かに見られている。なぜなら、彼はゾンビだからだ。街中にゾンビがいたら、誰でも見るだろう。カフェの店員も、横断歩道を渡る子どもも、散歩している犬も、みんな陽介を見ている(と陽介は感じている)。

10. 笑いがぎこちない

ゾンビは感情を持たない。陽介の笑いはぎこちない。「こちらが笑うのを期待しているような話しぶりだったから、笑うのが礼儀だと思った*5」。「麻衣子は微笑んだ。私も真似をして微笑んでみた*6」。「何が面白いのかは、私にもわからなかった。とにかく笑えて仕方なかった*7」。「膝」という変わったあだ名をもつ陽介の友人は、お笑いサークルに所属している。

11. 話がつまらない

ゾンビというのはだいたい、正気を失ってうーうー唸ってるだけだ。陽介は会話こそ全うに成立するが、その内容はかなりつまらない(本人も自覚があるようだ)。作中で、カギカッコつきで陽介が話す場面はほとんどなくて、話したところで客観的に自明なことしか語らない。

12. 突然祈る

ゲームでキャラクターがゾンビ状態になってしまうと、教会で祈ってもらわないと回復しない。陽介は信仰を持たないようだが、なぜか突然祈り出すことがある。だが、この祈りは自分にも他者にも届くことはない。

13. 太陽の光に弱い

ゾンビは太陽の光に弱い。あえて太陽の「陽」の字を名前に使うことで、その弱点を巧妙に隠してはいるが、最後に陽介に破局をもたらす彼女の名前は「灯」だ。

ゾンビであることの意味、自分が自分でなくなること

この世はゾンビランド

いくつかゾンビの特徴を挙げたが、結局ゾンビであることは何を意味しているのか。そもそもゾンビとは何なのか。

すごくラフに言ってしまえば、ゾンビになるというのは、ある種の状態の変化である。

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人間というのは、心も身体も常に変化を続ける生き物だ。そして、100年後には全員死んで墓場でゾンビになって踊る。人間はゆるやかにゾンビ化していく。生きることはゾンビになる過程である。これは誰にも避けられない。

この意味において、(程度の差はあれ、)陽介も、灯も麻衣子も膝も、人類みなゾンビである。そして、ゾンビ化は死ぬまで止まらない。心も身体もどんどんゾンビになっていく。「彼らくらいの歳になると、人間の歯は自然と黄ばみゆくのだろうか。そうだとしたら憂鬱なことだ*8」。本当に憂鬱なことだ。

良いゾンビ、悪いゾンビ

だが、ゾンビになっても、路上で人を襲ってはいけない(とされている)。悪いゾンビは社会から排除されて、警官に捕まってしまう。ゾンビ化する自分と上手く折り合いをつけて生きていかないといけない。良いゾンビにならなくてはならない。

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陽介は、ゾンビ化することが、変化することが受け入れられなかった。大学時代は誰にとっても激動の時期だ。だが、陽介は変化する自分と向き合わなかった。公務員を目指しているが、その理由を考えたことはない。高校生のコーチをしているが、自身はどういうわけか大学ではラグビーから離れてしまった。筋トレを続けているが、その目的はよく分からない。なんとなく世間で良いとされているものにしたがっているだけで、自分でなにかを考えて選択することはない。

一方で、周囲の人間は変化していく。その変化が陽介には奇妙に映る。「私の知っている麻衣子は、決して終電を逃さない*9」。「この男は、もう私の知っている佐々木ではないのかもしれない*10」。「灯は笑顔のよく似合う子で、灯にはずっと笑っていて欲しいと私は願っていたはずだが、そういう認識で合っているか?*11」。

それでもゾンビとして生きていくための3つのケース・スタディ

変化を受け入れないことが破局に直結するかというと、そんなこともないだろう。無自覚に、適当にやり過ごして、齢を重ねていくゾンビも大勢いるだろう。私もそうだ。作中でいえばラグビー部顧問の佐々木もそうかもしれない。

膝の苦しみ

膝は陽介の友人でありながら、そのキャラクターは陽介とは正反対である。露悪的なところがあって、酒ばかり飲んでいて、お笑いサークルでもハブられている。就活もあまり上手くいっていないようだ。陽介よりもずっとゾンビのように見える。

しかし、どこか憎めないタイプの男である。自分にも他人にも正直で、自身の気持ちを率直に陽介に打ち明ける。変化する環境に、変化しなければならない自分に苦しんでいる。

麻衣子の二度の変身

陽介の一人目の交際相手である麻衣子は、紛れもなくゾンビだ。大きなトラウマともいえる出来事が二度麻衣子を襲い、そのたびに彼女は違う自分へと変身する。

一度目は、麻衣子が小学生のときのこと。変質者の男(彼もまたゾンビだ)に追われ、自転車で逃げ回る。ここでの逃走の描写は、ゾンビ映画そのものだ。家まで逃げ切って、窓から飛び込んできた麻衣子を見た母はぎょっとする。「いったい何が窓から飛び込んできたのか、わからなかったのね*12」。

二度目は、陽介が麻衣子と別れて灯と付き合い始めた頃のこと。麻衣子は政治家を志していて、えらい先生の秘書のようなことをしているが、その先生に性的な好意を向けられる。逃げ出した麻衣子は深夜に陽介の家を突然訪問し、セックスをする。このときの麻衣子も、どこか異形のもののような雰囲気をまとっている。

そのあと麻衣子がどうなったのかは明確には書かれていないが、最後の場面で、陽介を警察に通報したワンピースの女は麻衣子だろう。「女は髪を落ち着いた茶色に染め、晴れた日の空に似た色のワンピースを来ていた。私の知らないその女は、私を見ながら真剣な顔でどこかへ電話をかけていた*13」。

灯のこれから

二人目の交際相手の灯は、ゾンビの陽介とセックスを繰り返し、自身もゾンビ化していく。性欲は日に日に強まり、飼っていたメダカは死に絶え、得意だった料理も作らなくなる。

陽介が破局を迎え、灯が破局を迎えなかった理由は謎だ。かくれんぼが得意だからかもしれないし、性欲を抑えるために自分の指を安全ピンで刺していたからかもしれないし、部屋に住み着いている幽霊が守ってくれたからかもしれない。

陽介の破局が灯に今後どのような変化をもたらすのかは分からない。苦手だったカフェラテを飲んでも、気分が悪くなることはなくなった。カフェラテは聖水なのかもしれない。

破局

破局

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