喰らいつく狼の群れ

本を読んで考えたことを書きます

断酒と2020年―町田康「しらふで生きる」

今年も気づけばもう8月になろうとしている。
 
しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

  • 作者:町田康
  • 発売日: 2019/11/06
  • メディア: Kindle版
 

 

町田康の『しらふで生きる』を読んで、なにごとにも影響されやすい私は、酒を断ち人生を取り戻そうと誓いを立てた。昨年の暮れのことだった。学生の頃から毎晩欠かすことなく酒を飲んでいる私は、酒に人生を奪われていたのだ。
 
仕事はつまらない。大学を出て、今勤めている会社にそのまま入社した。ソフトウェアエンジニアである。大学は工学部だった。ちょっとしたコードを書いて、ちょっとしたシミュレーションをしていた。能力はなくはないと思う。採用面接でもそういう類のいい加減なことをアピールした気がする。
あれから数年が経ったが、結局エンジニアとしては三流もいいところだ。日々の業務は人並みにこなせている。同僚にも恵まれているほうだと思う。苦手な人はいるが、嫌なことを言われることはない。そもそも私自身あんまり良い性格をしてないのだから。向上心はない。やりがいもない。それなりのお金はもらえている。ただ、仕事をしているときの自分は本当の自分ではない。そんな気がする。
 
だが、本当の自分とは一体なんだろう。何をしている自分が本当の自分なのか。もうすぐ30になろうとしているのに、そんなことを気にしている場合だろうか。
 
たいした趣味もない。残業はあまりない。自宅まではすこし遠い。帰りの電車で座れたら好きな本を読む。駅を出て、スーパーかコンビニで酒と出来合いのつまみを適当に買って、帰宅はだいたい20時くらいだろうか。最近はオフィスへ出社することも少なくなって、半年前まで毎日当たり前のように繰り返してたことなのに記憶があいまいだ。
それから酒だ。趣味は酒だと言う人は、美味しいお店やいろんなお酒を知っている。私は毎晩家飲みだ。居酒屋やバーは、知らない人に話しかけられるから苦手だ。飲酒という行為は酒と自己との対話なのだ。自分のペースを守り、それを他者に乱されてはならない。一人で、黙々と飲む。テレビはつけているが、内容は頭に入っていない。
飲むのはだいたいビールだ。私はいい加減にビールを飲んでいる。キリンとサッポロの違いが分からない。アサヒとプレモルなら分かると思う。そこにこだわりはない。どれでもいい。特定のものだけを飲んでいるとこだわりが生じそうなので、買うときは異なる種類のものを一缶ずつカゴに入れるようにしている。こだわりは悪とすら思っているのかもしれない。飲酒と向き合え。ただし発泡酒は最近ほとんど飲まなくなった。真にこだわらないのであれば、発泡酒も飲むべきだと思う。私の心にどこか、安い発泡酒を差別する気持ちがあるのだろう。欺瞞である。
焼酎も飲む。炭酸割りが好きだ。いろいろな飲み方があるのは楽しいことだ。日本酒もたまに飲む。ビールと焼酎と同じコップで飲む。ワインやウイスキーはあまり好きではない。その程度だ。
したがって、私にとって酒は趣味ではない*1そして、他に趣味といえるものも見当たらない。毎晩酒を飲んでいるときだけ本当の自分になれるのだ。酒だけが空っぽの心を満たしてくれる。そう思っていた。
 
酒だ。たぶん酒が悪いのだ。若干の論理の飛躍があるが、とにかく本を読んで強くそう感じた。おそらく断酒をしても本当の自分が見つかるわけではないだろう。ただ、自分のなにかが変わるだろう。もう10年近く毎晩酒を飲み続けているのだ。
やるからには徹底的にやる必要がある。24時間365日、一滴も飲まない。本にもおおむねそのようなことが書かれている。
 
そう決意したのが、昨年の暮れのことであった。善は急げ悪は延べよ。新しい手帳も買った。
しかし、なにかを始めるにはタイミングが悪かった。年末年始は久しぶりに実家に帰っていた。私の飲酒癖は、家族もよく承知している。帰省中も毎晩酒は飲む。米は食べない。おかずをつまみに飲む。それがいきなり、今晩から一滴も酒は飲まない、と宣言すれば狂ったと思われるだろう。口には出さずとも、茶碗に米をよそい、コップに麦茶を注げば、何かが起きていることは明白である。
ましてや正月である。おいしい料理を前に酒を飲まない、という道理が通用するだろうか。家族にも余計の心配はかけたくない。そういうわけで、断酒は東京の自宅に戻ってからと延期を決め、三が日は家族とおいしいお酒とおいしい料理で新年を寿いだ*2
 
それから、2020年はたくさんの予想もつかないことが起きた。私は、相変わらず仕事を続けて、毎晩酒を飲んでいる。自宅にいる時間が増えたからか、簡単なつまみを自分で作るようになった。 

*1:ビールのくだりは語りの熱量が多いのではないかと、あとから自分の文章を読み返して感じたが、それでもやはり趣味とは言えないように思う。

*2:この問題は実は『しらふで生きる』においてちゃんと論じられている。