喰らいつく狼の群れ

本を読んで考えたことを書きます

続・平和式典と首相挨拶の25年

こないだ書いた記事で、平和式典での首相挨拶について簡単な分析をした。似てても似てなくても結論はどちらでもよかったんだけど、25年分しか遡れなかったことはひとつ気がかりだった。

kuraitsukuookami.hatenablog.com

  • Wikipediaによると、広島の式典は1947年から、長崎の式典は1948年から行われているそうだ。首相が出席するようになったのは、広島では1971年が初めてのことらしい。長崎については記載がなかった。挨拶を伴うようになったのがいつからかは分からない。
  • 今回の分析では、1997年から2020年までを対象としている。情報元とした首相官邸のページで遡れる限界が1997年だったからだ。検索能力が低くてすまない。大きな図書館で、過去の新聞記事を探すことも考えたが、暑くて出かける気力がなかった。

ググって情報が得られないときに何を手がかりにすればいいのか分からない、というのがそこそこデジタルネイティブ世代の私の頭の悪さなんだろうけど、新聞に世の中の出来事が書いてあることくらいは知っているし、暑ささえ我慢すれば図書館にもたどり着ける。ちなみに、コロナウイルス対策で、入館には事前のWeb予約が必要で、利用時間も制限されていた。

子どもの頃には、縮刷版とかいうデカくて重たい本がたくさん並んだ本棚があったけど、時代を経て図書館もいろいろ電子化されたのか、各新聞社が提供しているオンラインアーカイブサービスが図書館の端末から使えるようになってて、あのデカくて重たい本たちはクラウドの彼方に消えてしまった。

端末に検索条件を打ち込むだけで、過去の記録はたくさん出てきたが、その時代の空気のようなものはそれだけではよく分からなくて、本を探してみたりもしたけど、なんだか腑に落ちないまま、時間を迎えてしまった。

このインターネットにも毎日毎秒大量のデータが蓄積されているけど、時代の空気のようなものは記録されるのか。大量のデータから必要なデータを抽出するのが難しいとか、データセンターが飛んだら終わりとか、そういうことが言いたいわけではなくて、掲示板のスレッドでもSNSでもブログでもVtuberのコメント欄でもなんでもいいんだけど、当時そこにいた人たちが感じていた空気が時代を経て誰かに伝わるかというと、なかなか上手くいかない気がする。

図書館の帰りは、夕方なのに昼間とほとんど気温が変わらなくて、調べ物のことももう割とどうでもよくなってしまったんだけど、最後に結果だけ書いて終わりにする。

 

  • 同じ年に現職の首相が両方の式典に出席したのは、1976年が初。*1
  • その後は、どちらか一方を毎年交互に訪れることが慣例化したが、1990年に当時の首相の強い意向で、14年ぶりに両方の式典に出席。*2
  • 1990年がイレギュラーで、その後も交互パターンは少しだけ続く*3が、90年代後半以降、両方パターンが当たり前になる。
  • 1976年は類似度0.50、1990年は0.61。計算手法は前回記事と同じ。首相挨拶の引用元はそれぞれ、『朝日新聞』1976年8月6日夕刊、1976年8月9年夕刊、1990年8月6日夕刊、1990年8月9日夕刊。

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1976

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1990

*1:『朝日新聞』1976年8月6日夕刊、1976年8月9日夕刊

*2:『朝日新聞』1991年7月23日朝刊

*3:『朝日新聞』1994年6月11日朝刊