アイドルとフィクション、日向坂46「3年目のデビュー」
映画館で観てきた。日向坂46のグループ結成から現在までの歩みを描いたドキュメンタリー映画だ。公開3日目に観ておきながら、私は超ニワカである。
結成時はけやき坂46という名前で、欅坂46のアンダーグループだったこと。
長濱ねるがけやき坂46と欅坂46の間のややこしい立場にいたこと。
グループが今後どうなるのか誰にも分からない不安な時期に、キャプテンの佐々木久美が「悔しくないの?」とメンバーに泣きながら訴えたこと。
武道館での3Days公演を1か月前に急遽打診されたとき、加藤史帆が「できる」とも「できない」とも答えられなかったこと。
日向坂46に改名し、センターに抜擢された小坂菜緒がその重圧に苦しんでいたこと。
唯一の3期生だった上村ひなのが、まわりのメンバーについていくのに必死だったこと。
柿崎芽実がストーカー被害で、井口眞緒が週刊誌の報道で、グループを去ってしまったこと。
決して順風満帆な道のりではなかったこと。
全然知らなかった*1 。メンバーが20人くらいしかいないのも知らなかった。46人いないんかい。
この映画で語られる日向坂46の軌跡は、多くの物語がそうであるように、なにか困難が生じて、それをメンバーが力を合わせて乗り越える、というステップの連続だ。ファンが望む物語=フィクションだ。
困難の先には、大人たちからサプライズで発表がある。シングルデビュー、改名、東京ドームでのワンマンライブ。一段上の、新しいステージだ。そこには新しい困難が伴う。
彼女たちは、大人たちに用意された物語を演じているだけなのだろうか?映画で繰り返し強調された、彼女たちの明るさや積み上げてきた努力、仲間を大切に思う気持ちもまたフィクションなのだろうか?
ファンはアイドルの虚構を受け入れ、サイリウムを振り、握手会に通うしかないのだろうか?私たちに信じられるものはなにか残っているだろうか?*2